ヨルタモリ 漢文全リスト
ヨルタモリのエンディングに毎回出てくる漢文(中国語)の意味。関心を持たれている方も多いようなのでこれまでの分をまとめます。画像の出典は全てフジテレビ2014年~2015年「ヨルタモリ」より。画像に関しては著作権法第32条第1項の適法な「引用」の範囲内で一部転載いたします。
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目次
※漢文講座を読むだけで、ヨルタモリの漢文がある程度読めるようになります。
1 世界一分かる漢文講座① 漢文=中国語?
2 世界一分かる漢文基礎講座② 中国人は漢文(古代中国語)を読めるのか
3 世界一分かる漢文基礎講座③ 漢文には過去形がない?
4 ヨルタモリのエンディングの漢文(中国語)のリスト
世界一分かる漢文基礎講座① 漢文=中国語?
画像:記念すべき漢文第1回
ヨルタモリのエンディングによく出てくる漢字の羅列。高校で習う「漢文」と認識している人のほかに、「中国語」と認識している人もいるようです。漢文というのは、弥生時代以降日本に入ってきたその時代の中国語のことを指します。たしかに中国語ではあるのですが、古代の中国語、しかも書き言葉専用の中国語になります。
たとえば「温故知新」は中国の古典である「論語」(by孔子)に出てきますので中国語に間違いありません。ただ「故きを温(たづ)ねて新しきを知る」と高校で習うように、語順を日本語らしく変え送り仮名を打つ場合はどうでしょうか?古文のルールに従いますので漢文=古文ということもできます。つまり、温故知新は古代中国語ですが、日本の書物には古文として登場するという少しわかりにくい位置づけとなります。
漢文=古文という見方に立つと、「温故知新」は「故きを温(たづ)ねて新しきを知る」と読むのは絶対ではありません。なぜなら、「訪ねて」の「て」は古文では使わないこともあるからです。そのため、「故きを温ね新しきを知る」と読んでも一向に構いません。
漢文の読み方(訓読)は大学入試に出るので、正解は一つだと思われています。しかしもともと中国語にない送り仮名を「古文」として意味が通じやすいように翻訳者が適切に補うだけですので、翻訳者によって相違が出ることもあります。そのためヨルタモリの漢文の読み方も、正解は一つに絞れないこともあります。
世界一分かる漢文基礎講座② 中国人は漢文(古代中国語)を読めるのか
いまの中国人は漢文(古代中国語)を読めるのでしょうか?
これは日本人が古文(百人一首)などを読めるのかというのと似た質問です。中国人も中学校で少々、高校で本格的に古代中国語を習います。しかし、スラスラ読める人はほとんどいないようです。ただ、明朝以降の文章なら何とかという人もおり、書かれた時代によっても異なるようです。
日本人の場合も古文に対しては同様で、高校を出ていれば易しい和歌や随想(春はあけぼの……など)ならばなんとかなるが、長い文章(源氏物語など)はダメという人が多いのではないでしょうか?ただ、日本人の場合は高校で古典文学のピークである平安時代を中心に習うため、今に近い江戸時代よりは平安時代のほうがなじみ深いという人も多いようです。
世界一分かる漢文基礎講座③ 漢文には過去形がない?
ちなみに漢文(古代中国語)は過去形がありません(もちろん未来形もない)。そのため、花が咲いたと書きたい場合も、花が咲いていると書きたい場合もともに「花咲。」となってしまいます。
「庭に花が咲いた」=「庭に花が咲いている」=花咲於庭
では、どうやって時制を見分けるのかというと、単純に文脈判断になります。一見不便ですが、たとえば「過日花咲於庭」(訳:先日庭に花が咲いた)のようにたいてい前後に時を説明する言葉があるので問題ないようです。
逆に言うとヨーロッパ大陸の言葉や日本語は、膨大な数の過去形(日本の場合、咲い・たのように過去の助動詞で済むがつなぎ方が面倒)を覚えなければならず、中国語のほうが効率が良いという意見もあります。
特に日本語は面倒で、現在なら「彼なら今行くよ」で、過去なら助動詞「た」を使って「彼なら昨日行ったよ」とするまでは簡単です。ただ、「彼なら明日行くだろうよ」のように助動詞の「だろう」を使うのは少し変です。ここは現在形で「彼なら明日行くよ」が一番自然です。このように日本語は、ヨーロッパルールと中国ルールが混ざっており世界でも屈指の学びにくい言葉だと思われます。
ヨルタモリのエンディングの漢文(中国語)のリスト
4 ヨルタモリ×堂本剛 2014.11.9 No.4 漢文#1陰近禅師
7 ヨルタモリ×佐藤隆太 2014.11.30 No.7 漢文#2蘇陽高哲
9 ヨルタモリ×桃井かおり 2014.12.21 No.9 漢文#3シャルマンホヤ
11 ヨルタモリ×森山直太朗 2015.1.25 No.11 漢文#4洛陽亭 序
漢文#1「雖在粗与密 何為粗不密」(陰近禅師)
この漢文は訓読(古文に直すこと)がかなり難しいです。多くの解釈の一つとして書いてみます。
・書き下し文
粗と密に在りと雖(いへ)ども
何為(なんすれ)ぞ粗は密ならざらん
(別案)
粗きと密たるに在りと雖(いへ)ども
何為(なんすれ)ぞ粗は密ならざらん
※日本の古文で「粗し」という語はありますが「密なり」という形容動詞は存在しません。そのため、「密なる」とするよりは、漢語を日本語化するときに使用する「たり」をつけ「密たる」としたほうが望ましいと思います。
・ポイント
「雖」……「いへども」と読み「~だけれども」という逆接の漢字。あくまでも古文に直すので「いえども」ではなく「いへども」と書きます。
「在粗与密」……「粗と密在り」と読む人もいるかもしれませんが、漢文では英語と同じ主語+述語の語順ですので、主語の省略と考えるしかないです。何が「粗野と繊細にある」のか書かれていないため、解釈が難しくなります。
「何為」……有名な「何」(なんぞ)と使い方は同じで、読みは何為(なんすれ)ぞで、疑問の意味もありますが、ここでは反語とみなします(なお、疑問と取る場合訓読は「何為(なんすれ)ぞ粗は密ならざる」)。
「粗不密」……「不」は英語のdoesn’tと同じ意味で本来動詞の前に来ます。「密」はこの漢文では名詞なので、本来は「粗非密」(粗は密にあらざらん)が良いと思います。
・口語訳
粗と密に在りと雖(いへ)ども
何為(なんすれ)ぞ粗は密ならざらん
(例1)
女性は粗野な部分と繊細な部分が内在するものだが、
どうして粗野な部分が繊細になったりするだろうか(逆はありえるかもしれないが)。
(例2)
およそ物事には粗野な部分と繊細な部分が内在するものだが、
どうして粗野な部分が繊細になったりするだろうか。
別解(フェイスブックにコメント頂いたものです)
「雖在粗与密 何為粗不密」陰近禅師
・書き下し文
粗きと密なるとに在りと雖も何為れぞ粗くかつ密ならざる
・口語訳
人の魅力は大胆と繊細を兼ね備へているところにあるが
ところで君は何故大胆なだけで繊細なところがないのだろうか
漢文#2「雖向中逸真 雖戯偏達悟」蘇陽高哲
・書き下し文
中に向かふと雖(いへど)も真を逸し
戯れて偏ると雖も悟るに達す
・ポイント
「雖」……「いへども」と読み「~だけれども」という逆接の漢字。あくまでも古文に直すので「いえども」ではなく「いへども」と書きます。
「向中」……英語と同様「動詞(V)+目的語(O)」のような語順をとりますので、「中に向かふ」と読みます。古文に翻訳しますので「中に向かう」ではありません。
「戯偏」……「戯れて偏る」でも「偏りに戯れる」でもどちらでもよいかと思いますが前者が古文としては自然かもしれません。
・口語訳
中に向かふと雖(いへど)も真を逸し
戯れて偏ると雖も悟るに達す
真面目に正面突破しようとしても真実を外すことはあり
遊び半分に極端なことをしても結果として真実を悟ることがある
漢文#3「誰知真実哉 鳥飛果実落」(シャルマンホヤ)
・書き下し文
誰(たれ)か真実(しんじち)を知らんや
鳥飛びて果実落つ
「鳥は飛び果実は落つ」等でも可。古文では、取り立て(強調)の「は」は現代語ほど頻繁には使わないためないほうが自然か。
・ポイント
「誰」……疑問と反語の場合がありますが、ここでは反語。
・口語訳
誰(たれ)か真実(しんじち)を知らんや
鳥飛びて果実落つ
誰が真実を知っていようか(誰も知らない)。
なぜ鳥は飛び、果実は落ちるのだろうか。
※重力の問題でなく、なぜ果実は下を目指し、鳥は上を目指すのかという哲学的課題。
漢文#4「雖人為不知 其不為真意」(洛陽亭 序)
・書き下し
人知らざるを為(いつ)はると雖(いへど)も
その真意を為(いつ)はらず
・口語訳
人は知識がないことを隠したとしても、どのような心理がそうさせたのかまでを隠すことはできない
※人は無知を隠すことができても、それを恥じていることは透けて見えてしまうということ。
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公開日:
最終更新日:2015/02/07